・童謡唱歌の作家とその時代3

 ・昭和戦前期の代表作家
 昭和3年にそれまでのラッパ方式の録音から、レコード録音は電気方式となります。 これを境に、各レコード会社から次々と童謡歌手がデビューし、いよいよレコード童謡の時代に 入ります。大正期に発表された曲も、録音され、あらためて、たくさんの人に童謡が聞かれるように なったと想像されます。余談ですが、レコード化するにあたって、過去に発表されたままの歌詞では 録音時間が足りないと、わざわざ、2番3番をつけ足したようなことが行なわれることもありました。 昭和11年にレコード化された「シャボン玉」などでは、雨情自身が、現在歌われていない、2番を 作っているようですし、「十五夜お月さん」でも誰の作詞か不明の4〜6番が残されています。
レコード自体の歴史に関してはさておき、この時代の代表的な作家は、 武内俊子(1905〜1945)と河村光陽(1897〜1946)です。
 この頃には、初出が楽譜や童謡雑誌ではなく、レコードであるというのが当たり前の時代に なっています。

 一方、唱歌の世界では、20年ぶりに改訂が行なわれます。
しかし、この間に隆盛した童謡はほとんど黙殺し、あまり評判の良いものではありません。 かえって、前年から出版された民間の日本教育音楽協会編「エホンショウカ」からは、 「コイノボリ」「チューリップ」などが生まれています。「チューリップ」は昭和7年にはすでに レコーディングもされています。
 昭和16年、時代は戦時体制となり、検定教科書は廃止、文部省著作のものに一本化されます。 この時、唱歌も改訂され、「ウタノホン」「初等科音楽」などが出された。 林柳波(1893〜1974)は編纂委員の一人として、この時、数多くの作品を発表しています。 また、同時に、以前の唱歌の詞を、平易に改めるなどをしています。国語の教科書などが 軍事色一色になっていったにもかかわらず、平和的であるとの評価を受けています。 作曲家では、井上武士(1894〜1974)、下總皖一(1898〜1962)等が編纂委員に選ばれています。

終戦後まもなくの童謡の普及を支えた、海沼実(1907〜1971)もデビューしています。
レコード時代となったことを表わすよう、海沼が各レコード会社に売り込みに行っていた エピソードが残されています。「お猿のかごや」のレコードが発売されるのは、作曲の 3年後の昭和15年。当初B面として発売されたその曲は、直にヒットします。ただし、各社競作の 大ヒットとなるのは、戦後のことです。

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