コンサートの最後に、「さあみなさん 御一緒にうたいましょう」といって
うたわれる歌として一番愛唱されているのは何だろう。歌手その人の好みで
いろいろであろうが、まずそんなに間違いないのが「故郷」と「赤蜻蛉」ではないか。
みんなで一緒にうたう歌ということになると、みんながよく知っている歌でなくては
ならぬ。よく知っていると同時にその歌のイメージが非常に一般的で、誰にでもよく
わかりなつかしい感じのあふれるものでなくてはならぬ。
それには、「故郷」や「赤蜻蛉」がぴったりだ。どちらも、明治時代からの日本の
農村の風景だ。もっと品明しをすれば、「故郷」は詞の作者高野辰之の生まれ故郷、
信州飯山あたりの風景だし、「赤蜻蛉」は詩人三木露風の育った、兵庫県龍野の
播州平野を詠った歌だ。
飯山のそこには「兎追いしかの山」もあるし、「小鮒釣りしかの川」もある。龍野は
今は立派な市ではあるが、それでも何十階などという大建物はなく、時計の針が六時
になれば空は夕焼小焼に染まるし、季節が来れば赤とんぼが数え切れないほど飛んで来る。
その上、「故郷」の岡野貞一、「赤蜻蛉」の山田耕筰−どちらも日本の子どもの歌を
代表する名曲だ。日本中から、それぞれの人のなつかしのメロディーを募集しても、
いつもその第一位と第二位は、大体「故郷」と「赤蜻蛉」で、鳥取には童謡のふる里
の記念館として立派な「わらべ館」が出来たし、龍野でも毎年盛大な三木露風賞の
祭典がある。
ただ残念なのは、それが、「ふるさと」でもなければ、「赤とんぼ」でもなく、
「故郷」であり「赤蜻蛉」だということだ。どちらもむつかしい漢字の思い出だ。
辰之少年が遊び歩いた頃の飯山の裏山には兎がピョンピョン逃げ廻っていたことだろう。
川では小鮒も釣れただろう。今日、「追いし」は文語体だからと、その部分を「追った」
と直し、「釣りし」を「釣った」としてみても、肝心の「兎」も「小鮒」もいないのでは
ないか。
この項つづく