大正時代までは詩人や文士は雅号というものを使う習慣がありました。
北原白秋は本名は隆吉ですが、十六歳の冬、友達と回覧雑誌「蓬文」を
作った時、雅号をつける話になり、あたまに「白」を載せ、その下に
付ける字をくじ引きにしたところ、白秋には「秋」が当たったという
ことです。一時、「薄愁」と号したこともあります。
西条八十は本名のままで雅号をつけたことはありませんが、野口雨情は、
昭和八年「キング」からのアンケートに答えて、中学時代春雨のしとしと
降るのに感じ「雨情」という号を定めたといっています。
三木露風は十四歳の時、「少国民」に「雪」という散文が当選していますが、
その時から「露風」の号を使い始めたようです。大正十一年カトリックの
洗礼を受け、十三年には「羅風」と号を変えましたが、十五年八月、
どうも羅風は親しみがないというので、もとの露風に帰りますという
葉書を配っています。