いい声でうたわれ、そのメロディーが多くの人々の
心の中にしみ渡って行くことによって、その歌は
どんどんと成長して行きます。
しかし数多くの歌の中には詩としても立派で、
そのメロディーも大変美しいのに、何となく
片隅に置かれて、ほとんどうたわれない
可哀そうな歌もたくさんあります。いつか、
そうした運のわるい歌を掘り起こし、明るい花園に
出してやる運動もしてみたいと思っています。
壷井栄の「二十四の瞳」の中で、大石先生が、
生徒たちと、歌をうたうシーンがあります。
物語の中で、この時うたわれるのは、西条八十詩、
本居長世曲の「烏の手紙」です。
山のからすが持ってきた
赤い小さな状袋
あけて見たらば
「月の夜に山が焼け候こわく候」
返事書かうと眼がさめりゃ
なんのもみじの葉がひとつ。
という、大正九年三月号の「赤い鳥」に
載った童謡で、本居長世、近衛秀麿、成田為三
と三人の作曲があります。
ところがこの「二十四の瞳」はその後映画化され、
高峰秀子の大石先生で大変好評でした。
子どもたちが浜でうたう場面も印象的で、その歌は
全国的にひろまりました。
しかしそれは原作にある「烏の手紙」ではなく、
同じ本居長世作曲の「七つの子」でした。
「七つの子」はみなさんご承知の野口雨情の
「からすなぜなくの」というあの歌です。
映画にする時、もちろんこの「烏の手紙」が
問題になったのですが、途中、二回も転調したりして
むつかしいというので、同じ本居曲の「七つの子」
が選ばれました。
「七つの子」もいい歌で愛唱歌としてうたいつがれて
いますが、可哀そうなのは「烏の手紙」で、
三人もの作曲があるのに今日ほとんどうたわれていません。