野口雨情の「証城寺の狸囃」は、大正十三年十二月号の
「金の星」に掲載されました。
作曲が載ったのは翌年の一月号ですが、その時中山晋平は
全面的に歌詞を変えています。
原作は
「証城寺の庭は 月夜だ月夜だ 友達来い
おいらの友達ァ どんどこどん」
といった調子のものでした。
それが今うたわれている歌では
「証 証 証城寺 証城寺の庭は
ツ ツ 月夜だ 皆出て来い来い来い
おいらの友達ァ ぽんぽこぽんのぽん」
と、ぐっとハデになっています。
晋平は自信の強い人で、自分でいいと思うと
はっきり直しています。
昭和四年一月号の「コドモノクニ」と
「幼年倶楽部」に同時掲載された西條八十の
「毬と殿さま」でも所々、八十の原作と晋平の
作曲とでは違いがあります。
「てんてんてまり」→「てんてんてんまり」
「お屋根をこえて垣こえて」→「垣根をこえて屋根こえて」
「やっこらさのさ」→「やっこらさのやっこらさ」
「わたしに見せて下さいな」→「私に見させて下さいな」
「二年たっても」→「三年たっても」
などです。
「てんまり」と一字ふやした方がぐっと力がこもるし、
「垣」より「垣根」、「二年」より「三年」の方が
ずっと口調がよく、曲を別にしても晋平の訂正は
悪くありません。
「見させて」というのはちょっとおかしいけれど、
その他の部分は作曲によって歌詞もよくなっています。
「毬と殿さま」は八十と晋平の傑作ですが、二つの
雑誌の新年号に「同時掲載」されています。今日では
一寸考えられぬことですが、童謡の全盛時代には
こんなこともありました。