子守歌は天使のような幼児を静かにねかしつける母親の愛の歌です。
それだからゆったりと美しい。にぎやかな明るい子守歌などあまり実用に
なりません。
しかしここに悲しい歌があります。
俺ま、 非人非人、 彼人たちゃ、 良か人、
おどま かんじんかんじん あんしたちゃ よかし
良かしゃ良か帯、 良か着物。
よかしゃよかおび よかきもの
とか
俺まが死んだてちゃ誰が来て泣くど、
裏の松山や蝉が鳴く。
この、つらい、厳しい歌は、人吉の北方、川辺川ぞいの部落
五木の子守歌です。江戸にはじまり、明治から大正期まで、
田舎の貧しい家の娘は、遊びたい盛りの十歳前後から小守に
やとわれたのです。
髪を手拭いで包み、はんてんでくるんだ赤ん坊を背中におぶい、
素足にわらぞうりをつっかけて小守は夕暮れの背戸に立ちました。
今日のように健康管理の十分でない昔の赤ん坊はよく泣いたし、
なかなかねむりませんでした。
だんだん日が暮れてゆくのに、なかなかねつかない子、
いつまでも泣きつづける子を、腰をふり、歌をうたいながら
あやしている子守は、哀れな絵姿として日本全国各地の歌の中に
生きています。
雨は降りくさる、子は泣きくさる、下駄の鼻緒は切れくさる。
こんな悲しい歌が和歌山県にも残っています。
封建時代の悲惨な営みが鋭い詩句の中にゆれうごいています。